2007年 12月 30日
映画「ひめゆり」 |
ひめゆり学徒隊の生存者の証言で綴られたドキュメンタリー。
印象的だったのは、1945年3月に学徒隊が召集されてから6月までの犠牲者は19人だったのが、それ以後200人近くが死亡したこと。
組織戦は終わっても、米軍は掃討を続けた。日本軍とともに学徒隊も沖縄本島の最南端まで逃亡し、そこで女学生たちは「学徒隊の解散」を告げられる。周囲は米軍に包囲されているのに、軍が隠れている壕からは出ていくように命令される。
生存者は、つねづね「捕虜になってはいけない。捕虜になったら酷い辱めを受けた上で殺される」といわれていたと証言する。映画では、こういう教育を軍が直接していたのか、学校でいわれていたのかは、はっきりしなかったけれど、こういう言い含めをされている女学生たちに手榴弾を配ったら、「捕まりそうになったら自決しなさい」と命令することになるという自覚が軍になかったはずがない。「関与」というのは事実を脚色したことにならないか。
米軍に保護されて生き残った人もいるのだけれど、相手をねじ伏せなければいけなかった軍隊が、とにかく自分たちに見えないところで動いている敵国の人間(武器を持たない非戦闘員であっても)がいると安心できない、というのは今のイラクを連想させた。
印象的だったのは、1945年3月に学徒隊が召集されてから6月までの犠牲者は19人だったのが、それ以後200人近くが死亡したこと。
組織戦は終わっても、米軍は掃討を続けた。日本軍とともに学徒隊も沖縄本島の最南端まで逃亡し、そこで女学生たちは「学徒隊の解散」を告げられる。周囲は米軍に包囲されているのに、軍が隠れている壕からは出ていくように命令される。
生存者は、つねづね「捕虜になってはいけない。捕虜になったら酷い辱めを受けた上で殺される」といわれていたと証言する。映画では、こういう教育を軍が直接していたのか、学校でいわれていたのかは、はっきりしなかったけれど、こういう言い含めをされている女学生たちに手榴弾を配ったら、「捕まりそうになったら自決しなさい」と命令することになるという自覚が軍になかったはずがない。「関与」というのは事実を脚色したことにならないか。
米軍に保護されて生き残った人もいるのだけれど、相手をねじ伏せなければいけなかった軍隊が、とにかく自分たちに見えないところで動いている敵国の人間(武器を持たない非戦闘員であっても)がいると安心できない、というのは今のイラクを連想させた。
by yasuko_kanda
| 2007-12-30 21:09
| 映画