2007年 07月 18日
安らかに |
日本共産党の元議長、宮本顕治さんが今日、死去されました。
私の記憶にある宮本さんはすでに議長で、毎年、元旦の赤旗で、そのときの政治のあり方や、社会を前進させる運動の展望などを語っておられた「新春インタビュー」が印象に残っています。いつも広い視野で日本社会を見ながら、そのときどきに、社会変革を目指す人たちが把握しなければいけない問題の核心を簡潔に語っていました。
大韓航空機爆破事件が起きた直後に「北朝鮮の犯行」と断定したことや、ソビエト共産党解散を「双手をあげて歓迎」と語ったことなど、その事件のニュースを聞いて、どう見たら良いのか戸惑っていたときに、事実を冷厳に見た判断を一刀両断の鮮やかさで示してくれました。新聞で読んで、大きく目を開かされたことを鮮明に覚えています。(後で考えれば当たり前のことですが、ことが起こったときすぐに判断できたのがさすがだと思うのです)。 戦前、戦中、苛烈な弾圧と戦い抜き、戦後も日本の社会変革の事業を牽引してきた方でした。
今、獄中にあった宮本さんと、妻で作家の宮本百合子さんが交わした書簡集「十二年の手紙」を長い期間かけてちょっとずつ読んでいるのですが、厳しい条件のもとで、裁判闘争を綿密に進めながら、百合子の作家活動についても鋭い批評を寄せて、顕治さんの側が妻を励ましている(厳しい批判も含めて)のが分って、なんと器の大きい人かと改めて感じ入っていたのでした。その一方で、ちゃんと妻への愛情を濃やかに表現しているくだりもあるのですから。
「報道ステーション」で、志位和夫委員長が「大きな人」と表現していましたが、同感です。
長い間お疲れさまでした。安らかに眠ってください。
私の記憶にある宮本さんはすでに議長で、毎年、元旦の赤旗で、そのときの政治のあり方や、社会を前進させる運動の展望などを語っておられた「新春インタビュー」が印象に残っています。いつも広い視野で日本社会を見ながら、そのときどきに、社会変革を目指す人たちが把握しなければいけない問題の核心を簡潔に語っていました。
大韓航空機爆破事件が起きた直後に「北朝鮮の犯行」と断定したことや、ソビエト共産党解散を「双手をあげて歓迎」と語ったことなど、その事件のニュースを聞いて、どう見たら良いのか戸惑っていたときに、事実を冷厳に見た判断を一刀両断の鮮やかさで示してくれました。新聞で読んで、大きく目を開かされたことを鮮明に覚えています。(後で考えれば当たり前のことですが、ことが起こったときすぐに判断できたのがさすがだと思うのです)。 戦前、戦中、苛烈な弾圧と戦い抜き、戦後も日本の社会変革の事業を牽引してきた方でした。
今、獄中にあった宮本さんと、妻で作家の宮本百合子さんが交わした書簡集「十二年の手紙」を長い期間かけてちょっとずつ読んでいるのですが、厳しい条件のもとで、裁判闘争を綿密に進めながら、百合子の作家活動についても鋭い批評を寄せて、顕治さんの側が妻を励ましている(厳しい批判も含めて)のが分って、なんと器の大きい人かと改めて感じ入っていたのでした。その一方で、ちゃんと妻への愛情を濃やかに表現しているくだりもあるのですから。
「報道ステーション」で、志位和夫委員長が「大きな人」と表現していましたが、同感です。
長い間お疲れさまでした。安らかに眠ってください。
by yasuko_kanda
| 2007-07-18 23:13
| ニュース