2007年 10月 01日
映画「ひめゆりの塔」(1953年、日本) |
ひめゆり学徒隊をテーマにした映画は何本かあって、この映画を撮った今井正監督は1982年にも同じテーマで一本撮っています。また、学徒隊の生存者の語りによるドキュメンタリー「ひめゆり」が今公開されています。
本来は学校で勉強しているはずの十代の女子学生たちが、不潔な環境下で重い負傷者の看護にあたり(男性の兵士の排せつの世話をする場面も出てくる)、米軍の攻撃にもさらされたというのは過酷な体験だっただろうと思います。
また、日本軍が、敵の攻撃が激しくなったからと負傷者を置き去りにして移動したり、いよいよ総攻撃をかけるというときには「学徒隊は解散する」とだけいって、動員された人たちを、いわば「自分たちで勝手に逃げろ」と見捨てるなど、自分達に従って来た人たちを守らなかったことが、この映画でも描かれています。学徒隊の教師や生徒が、米軍から逃げ切れないとあきらめて、軍から渡された手榴弾で自決する場面もあって、当時から、沖縄県民の自決が、軍の命令によるものと映画製作者が認識していたこともわかります。
「また逢う日まで」でも、今井監督は、戦争のなかで生き抜こうとして殺されてしまう若者たちを描いています。個人がいくら強い生きる意志を持っていても、それを超越して死を強いるのが戦争なんだという主張が共通しています。
「ひめゆり」の方も見たくなりました。
本来は学校で勉強しているはずの十代の女子学生たちが、不潔な環境下で重い負傷者の看護にあたり(男性の兵士の排せつの世話をする場面も出てくる)、米軍の攻撃にもさらされたというのは過酷な体験だっただろうと思います。
また、日本軍が、敵の攻撃が激しくなったからと負傷者を置き去りにして移動したり、いよいよ総攻撃をかけるというときには「学徒隊は解散する」とだけいって、動員された人たちを、いわば「自分たちで勝手に逃げろ」と見捨てるなど、自分達に従って来た人たちを守らなかったことが、この映画でも描かれています。学徒隊の教師や生徒が、米軍から逃げ切れないとあきらめて、軍から渡された手榴弾で自決する場面もあって、当時から、沖縄県民の自決が、軍の命令によるものと映画製作者が認識していたこともわかります。
「また逢う日まで」でも、今井監督は、戦争のなかで生き抜こうとして殺されてしまう若者たちを描いています。個人がいくら強い生きる意志を持っていても、それを超越して死を強いるのが戦争なんだという主張が共通しています。
「ひめゆり」の方も見たくなりました。
by yasuko_kanda
| 2007-10-01 00:25
| 映画